図書館で順番予約し、ようやく手元へ!早速読み始めました。以前、記事にした同じ作者による、『イスラエルの起源』を先に読んでいたことと、
更には ローマ人の物語
歴史的背景も含めて、鶴見さんによる社会的構造を理解しつつ読み進められるので、分かりやすかったです。
鶴見さんによれば、歴史学と社会学は、「主体か? 構造か?」という点を議論してきた。分かりやすくいえば、ある人が一流ピアニストになったとします。その場合、主体とは、自らが努力した結果によるものなのか? 一方で、社会的構造でいえば、「生まれ育った環境によるものか?」 貧乏な家に生まれたら、ピアノも買って貰えない。裕福な家庭なら生まれた時からグランドピアノがあった。しかし、お金がなくても学校の音楽室でこっそり練習し、友達のレッスンへついていき、(防音室がなかった時代なら)外で聴いて覚えてしまう子もいたかもしれない。講師に見いだされ、奨学金をもらい、音楽を学ぶ機会も訪れたかも? つまり、主体と社会的構造を同時に考えることもできるわけですよね。(勝手に自分が例をあげましたが、著書では、ユダヤ人について、主体性と社会的構造の両面から考察しています)
そもそも、自分がユダヤ人、或いはイスラエルの歴史を調べてみようと思ったきっかけが、「ホロコーストでひどい目にあったユダヤ人がなぜ、パレスチナ人に対して、残虐な行為ができるのか?」ということでした。
虐げられた人々が、他の人種を虐げられるのか?
ユダヤ人は社会的構造で いやおうなしに、こうするしかなかった、職種は制限されてきた、人権も殆ど守られてこなかった、常にマイノリティーだった、だからこそ、建国し、「自分の故郷を持つ」必要があった、こうしてシオニズムが生まれた。
↑ この著書は非常に難しいです。以前、goo時代に読んだ感想を書きましたが…
鶴見さんは言います。「ユダヤ人の歴史の見どころは、ユダヤ人が構造と格闘したり、構造を前提にしてそれを活かす道を考えたり、複数の構造を組み合わせたて第三のものを作り出したりするような、「主体と構造」が織りなす局面だ。」(9ページから抜粋)
一つの例をあげると、ユダヤ人は勉強熱心であったため、虐げられつつも、時代によって、皇帝だったり、貴族だったり、或いは政府に重宝されることがあった。金融業を生業にしているイメージが強いが、裕福だったのは、ごく一部で、実際は大口ではなく、小売業を相手にする場合が多かった。しかし、ペストが流行ったり、農作物が不作だったすると、多くの農民は帝国/政府と上手くいっているユダヤ人に嫉妬するようになる。単に はけ口とされ、集団で殺された歴史もある。
例えばポーランド。近世には、ユダヤ人が受け入れられ繁栄したのはポーランドだったが、20世紀になると変化が起こる。
好意的だったポーランド人気質が変化したのではない。ここで社会的構造に大きな変化が起きた。 ユダヤ人のパトロンだった貴族が没落し、農民のユダヤ人に対する感情が悪化し、表面化していった。元々商業でも、キリスト教徒とユダヤ人は競合する立場にあった。ロシア領でいえば、農地改革、農奴解放により没落貴族の他、ユダヤ人も貧困化させ、都市部に流れ込む。
1930年代には、大学の構内に「ユダヤ人専用席」を設けたりと、露骨な差別も始まる。
この時期のポーランドの人口比は、3分の1が非ポーランド人で、ユダヤ人の他、ウクライナ人、ベラルーシ人、ドイツ人、だった。国境の向こう側にいる、それぞれの『同胞』とむずびついているのではないか? スパイ行為を疑ったり、「疑いの念」が蔓延していく。(214~217ページ参照)
先に紹介した、【ロシア・シオニズムの想像力】の中では、ユダヤ人・帝国(皇帝)・アラブ人という三者の関係性を社会的構造の中で論じられている。
特にロシア帝国下でのユダヤ人の立場を分析する際、彼らは「帝国の臣民」として皇帝権力に依存しつつ、同時にパレスチナをめぐるアラブ人との関係を想像的に構築していった、という視点が提示されている。
鶴見太郎の議論のポイント
1⃣ユダヤ人と帝国(皇帝)ロシア帝国ではユダヤ人は常に「帝国の枠組み」に組み込まれていた。皇帝や貴族がユダヤ人を保護する局面もあったが、農民層や都市住民からの反感が強まると、迫害の対象にもなる。帝国の「構造」によってユダヤ人の社会的立場が大きく左右された。
2⃣ユダヤ人とアラブ人
シオニズムは「パレスチナへの帰還」を掲げたが、そこではアラブ人が生活していた。鶴見氏は、ユダヤ人が「帝国の中の少数者(マイノリティー)」としての経験を持ちながら、パレスチナでは、「主体的に民族国家を作る」という構想を描いたことを強調。
三者構造の意義
鶴見氏は「ユダヤ人・帝国・アラブ人」という三者の関係を、単なる二対立(ユダヤ人 vs 他者)ではなく、多層的な社会的構造の交錯として捉えている。
例えば、ユダヤ人は帝国の枠組みを利用して地位を確保しつつ、同時にパレスチナでアラブ人との関係を再構築しようとした。ここに「主体と構造」のせめぎ合いが現れます。
自分のの問いとの接点
「虐げられた人々が、なぜ他者を虐げるのか?」という疑問は、まさに鶴見氏が三冊の著書を通じて提示する「主体と構造」の問題に重なります。
- ユダヤ人は帝国の構造に翻弄され、差別される一方で、構造を利用して生き延びる術を見出した。
- その経験が「自分たちの国家を持つ」という主体的選択(シオニズム)につながり、パレスチナではアラブ人との新たな構造的対立を生みだした。
つまり、「被害者であること」と「加害者になること」は、歴史的構造の中で連続してしまう場合がある、というのが鶴見の分析の核心です。
ユダヤ人史を読むときも、努力や主体性だけではなく、社会的構造の力がどれほど大きく作用したかを見ていくことが重要だと、鶴見は強調しています。
この「三者構造」の視点を踏まえると、イスラエルとパレスチナの現代的な対立も、単なる「民族間の憎しみ」ではなく、帝国・植民地・国家建設という歴史的構造の連続性の中で理解できるのだと思います。
最後に。この著で初めて知った歴史を書いておきます。日本人は知らない人の方が多いのではないかと思われるので。ホロコーストの主犯がナチだったことは、間違いないですが、戦後、自由の身になったユダヤ人の中には、故郷の自宅へ戻った人たちもいたそうですが、戻った自宅にはポーランド人がいて、ユダヤ人は追い払われたり、殺されたりした…つまりは、ホロコーストは終わっていなかった…。
ホロコーストは「ヒトラーの狂気」だけで説明できるものではなく、社会的構造や周辺国の協力・沈黙が大きく関わっていた、ということです。戦後は西ドイツが中心的に責任を負い補償を進めましたが、ポーランドや他の周辺国は限定的な謝罪や補償にとどまり、問題は長く放置されたまま…。ポーランドの例のように、『社会的構造の変化(貴族の没落、農民の不満、宗教的対立)』がユダヤ人迫害を加速させ、つまり、ホロコーストは「狂気の独裁者」だけでなく、社会全体の構造的要因に根ざしていたのです。
ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどでは、ナチス占領下でユダヤ人迫害に協力した事例が多数ありました。しかし戦後、これらの国々は限定的な謝罪や補償しか行わず、責任を曖昧にしたまま。
このため「西ドイツが一国で全責任を負った」という印象が強まり、周辺国の責任は歴史的に十分問われてこなかったのです。(223~224ページ)
まとめ
「虐げられた人々がなぜ他者を虐げるのか」という問いと同様に、ホロコーストも個人の狂気ではなく社会的構造の産物でした。そして戦後もまた、構造的要因(冷戦、国際政治、民族対立)が責任の分担を歪めました。
この視点で見ると、イスラエル・パレスチナ問題も「被害者が加害者になる」という単純な図式ではなく、歴史的構造の中で役割が転換してしまう現象として理解できるのだと思います。




